NEW  2011.06.16

Vol.21

鴻池朋子さん/アーティスト <前半>  

『隠れマウンテン 逆登り』2011年 墨、アクリル、金箔、木炭、雲肌麻紙、襖、漆枠 378 x 564 x 9 cm (c) KONOIKE Tomoko Courtesy Mizuma Art Gallery

今を生きるためにつくる

国内外のアートシーンで活躍するアーティスト、鴻池朋子は平面、立体、アニメーション映像など様々な表現活動を行う。作品の特徴は、なんといっても観るものを圧倒する卓越した画力と独特の世界観だろう。人の足がついた昆虫や動物、白い毛で覆われた顔のない小さな生き物「みみお」※1など不思議なモチーフも作品の魅力の一つで観るものの想像力を掻き立てる。そんな興味深い作品をつくる鴻池朋子とは一体どんな人物なのか、内面に迫ってみた。

■子供心に「いい本ねえなぁ」

——生まれは秋田県なのですね。幼少期は、どのような家庭で育ちましたか?

お爺さん、お婆さん、お父さん、お母さん、私… 私は本家の初孫で、生まれたときはまず一人で、長女でした。そして、すごく年の離れたいとこのお姉ちゃん、お兄ちゃんが家の後ろの方に一家で住んでいて。10年後に妹ができました。1960年代の高度成長期のまっただ中を、ふにゃふにゃの大脳がなんとなく固まっていきましたね(笑)。

 

両親は、戦争が終わってやってきた民主主義にどっぷりつかったリベラルな人たちで。すごく自由に育てられましたが、ある意味、自由ってのは後から苦労するんですね、こっちが。縛りに弱いから、ああしなさい、こうしなさいっていわれると萎えちゃうんですね。もっとルールの中で育てば、もうちょっと我慢強かったと思うんですが。けれど、明治(生まれ)のお爺さんとお婆さんが頑としているから、躾は厳しかったですね。大事に大事に厳しく育ててくれました。

——代表作の一つ、「みみお」※1は絵本にもなりましたが、幼少期に好きだった絵本はありますか?

それがですね、本屋さんに行って父親に「好きなものを買っていいよ」と言われても、どれもこれも絵が良くなくて買わなかった記憶があるんですよ。それで唯一しょうがなく、『メアリー•ポピンズ』※2。絵本ってよりは児童書ですよね。厚みがあって装丁が良く、「じゃ、これ」って買ってきた記憶がある。どの絵本を見ても美しくないっていうか、大胆に描いてある大人の筆遣いが全然好みに合わなくて。今でこそ作家の層が厚く物流も多いですけど、それは本当にここ10年、20年くらい。やっぱり、小さいころは「いい本ねえなぁ」っていう…。だから、そういう形で(本を)選んでいたのがすごく印象に残ってますね。

それよりは、ディズニーの方が好きでした。やわらかい、ふわふわのアニメーションが、固くて枚数が少ない日本のアニメーションと違って、もう好きで!

『夏 まっすぐにむかっている夏 たくさんのいきものの 糞のにおいがする』 (絵本『みみお』 原画より)2001年 鉛筆、紙 39.7 x 54.4 cm (c) KONOIKE Tomoko Courtesy Mizuma Art Gallery

『ミミオ-オデッセイ』2005年 DVD 11min. 30sec. (c) KONOIKE Tomoko Courtesy Mizuma Art Gallery

 

■嫌いなものは持たない

——幼少期から絵を描くことは好きでしたか?

そうですね、普通にチラシの裏に女の子の絵を描いたりしてましたね。

——当時、なにか没頭していたことはありましたか?

(人形の)「ハウスもの」が結構好きで。ぬいぐるみが入っていたおっきな段ボール箱を利用して、穴を空けて、しきりをつけて、その人形にしてはでっかい家をつくって遊んでいました。(人形の)お洋服とかも結構買って。母が洋裁をやってて、よく作ってもくれましたね。各家庭でものをつくることが多い時代で、手芸のセンスや美意識とかが発揮されていました。

いま思うと、「素敵」って思うものが、そういう中で育っていったのかな。嫌いなものは持たない。チョコレートが入っていた缶からを大事にしまっておいたりとか、取ってきたきれいな海岸の石ころを結構大事にとっておいたりとか、そういうことで十分、なんか幸せだった気がします。

 

 

鴻池朋子さんのお母様が作成したバッグ

 

■得意分野と初めて向き合う

——将来なりたい職業などありましたか?

昔から、なりたい職業とかなかったんです。なんとなく、生きていれば楽しいっていうか、なんとかなるっていうような感じ。それくらい呑気で、競争心もなかったんです。

——しかし、高校3年のとき通った美術の予備校では、デッサンのランキングに競争心を燃やしていたとか。

知り合いの子が春休みに(予備校に)行ってるってのを聞いて「そんなのがあるんだー」と思って、夏休みに入りました。普通に絵にランキングをつけて順位が上がっていくというのが、シンプルで面白かったですね。最初、自分の絵が高校生で一番ビリッけつにあったんだけど、焦りと悔しさでどんどん上がっていくのが嬉しかった。絵というか、そういう面白さというか、自分の得意なことに向き合った最初ですね。

■日本画が悪いんじゃない

——そして、東京藝術大学の美術学部絵画科日本画専攻卒業後に入学。

80年代の最初なんですが、ある意味そこだけ守られた温室のようで、外の面白い世界と全く違っていて…。学校にはあんまり行かず。すごくパンクなファッションをしていました。

——ご自身を取り囲む社会に対しても反発(パンク)精神が強かったみたいですね。

当時、権威的や伝統的なものに単純に反発していたようにも思えるんですけど、いまちゃんと分かるのは、前近代に一度熟成を見た日本画っていうものを単に焼き直していたことに対してですね。日本画が悪いわけじゃなく、もう一歩踏み出そうとしてない大学のやり方とか、前の世代のものをなぞっているだけという考え方自体、やっぱり新しさを感じなかったんです。

昔ながらのそこで画壇をつくって美術界ってとこで絵を売っていこうっていうシステムはあるかもしれないけど、本当に面白いものとか、本当になにか新しいものとか、本当になにかびっくりするようなものっていうのは、全く違うとこでぽっと現れるんですよ。だって、黒人のレゲエ音楽だって流行のスターがつくったのじゃなくて、民衆の中でぽっとリズムが生まれた。メインストリームとは関係ないところで何かが生まれてくる。だってそれは切実なものだから。そういうものに対しての躍動感というか興奮の方が大きくて。それは未だに変わらないし。

当時は単純に「若さ故の反抗」だと思ってましたけど、いま振り返ると、きちんと新しいものを見出そうとしていない、現実に向き合っていない人に対しての嫌悪感がはっきりしてたのだと分かる。そこが今に至ってるわけだから。

■玩具会社で見つけた新しいものづくりの形

——大学卒業後はどのようにされましたか?

なんか、遊びながら食べていければいいな、とまた思って(笑)。それで、求人誌をぺらぺらめくって、小さな玩具の企画会社を見つけて入った。どっか能天気なんですよ。

いま考えると非常に面白いというか豊かなものづくりのスタジオといった感じでしたね。そのときのデザイナーの先輩たちは本当に丁寧に優しく遊びながら教えてくれた。さらに、自分の主観だけでものをつくるというよりは、一つのある目的に向かってチームワークを組んでつくっていてびっくりしましたね。個人的なものに執着しているのではないそのスタンスが、かっこいいというか素晴らしいなって思いましたね。

『バージニア-束縛と解放の飛行』2007年 ミクストメディア 280 x 370 x 200 cm 撮影:中道淳(Nacasa&Partners) (c) KONOIKE Tomoko Courtesy Mizuma Art Gallery

 

鴻池朋子さんインタビュー 後半 >>


<解説>

※1 「みみお」
1997年に鴻池朋子によって作られた鉛筆アニメーション『冬の最後の日』の中に初めて登場した生き物。鴻池はみみおについて「キャラクターではないのです。無垢なものと無垢から堕落した邪道なものとのあいだにいるもの(※途中略)人間と動物の区別がつかないゾーンにいるような存在(美術手帖2002年12月号より)」 と語っている。2001年には青幻舎から絵本『みみお』も発行された。
http://www.seigensha.com/book_data/preview.cgi?CODE=29
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※2 『メアリー•ポピンズ』
オーストラリア出身の作家パメラ•トラバーズによって書かれた、魔法使いの家庭教師メアリー•ポピンズが登場する児童文学。シリーズ化され7冊まで出版されており、同タイトルは一般的に『風にのってきたメアリー•ポピンズ』を指し、日本語翻訳版は岩波書店から発行されている。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/qsearch
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