連載第3回


ドイケイコ



様々な人たちが想像や創造する現場を訪れ紹介していきます。



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第1回 Chim↑Pom展『REAL TIME』

第2回 名和晃平―シンセシス

第3回 舞台芸術の現場(1) やなぎみわ演劇プロジェクト 第1部『1924 Tokyo-Berlin』

2011.11.1

舞台芸術の現場(1) やなぎみわ演劇プロジェクト 第1部『1924 Tokyo-Berlin』

撮影:林口哲也

揃いのモダンな洋服に身を包んだ案内嬢たちに連れられ、足を踏み入れたのはハンガリー出身の芸術家、モホイ=ナジ・ラースローの個展会場であった。

美術作家、やなぎみわの演劇プロジェクト第1部『1924 Tokyo-Berlin』の始まりだ。案内嬢たちは、無表情なのだが活弁家のような口調で、20世紀前半に活躍したモホイ=ナジの作品を次々と紹介していく。モホイ=ナジは絵画、写真、彫刻、デザイン、舞台芸術など様々な分野で活躍し、自身が生きた時代の芸術の在り方についても模索した。そして、芸術家個人の執筆を排除し、通信技術を介して機械的に生産する「発注芸術」という理念を打ち出し、「電話芸術」として実践した。これはダダやロシア構成主義の理論を踏まえた作品として反響を呼んだという。

実験的な作品も多数つくっていたことから、案内嬢たちまでモホイ=ナジの作品のように見えてきた。まるで自分のことを後世に伝えるためにつくった、からくり人形のようである。


撮影:林口哲也

その後、案内嬢たちにいざなわれ、1924年の日本に存在する築地小劇場へと辿り着いた。築地小劇場は1923年に発生した関東大震災の翌年、土方与志と小山内薫が開設した劇場である。案内嬢と共に現れたのは土方と、村山知義という芸術家であった。村山は、築地小劇場の計画を友人から聞いて興味を持ち土方に手紙を書いたことがきっかけで、土方が脚本・演出を手がける舞台の舞台装置を担当することになった。

小説家、画家、デザイナー、建築家、ダンサーなどモホイ=ナジさながら多岐に渡って活躍した村山は、同じく芸術自体についても深く追求し、単に「芸術=美」だけではなく、その時代の世相や思想と深く関係したものだと説き、のちに社会主義と密接した表現活動も行った。

撮影:林口哲也

『1924 Tokyo-Berlin』では、途中、村山の脳裏を駆け巡る「芸術」の映像が舞台に映し出され、芸術や世の中と向き合って生じた村山の衝動や葛藤が荒々しく描かれていた。村山をフックに当時の芸術家たちの思いや、とりまく環境について鮮明に表現しているようにも見える。案内嬢たちはここでも活躍し物語を進行させ、なんだか、やなぎみわの分身のようにも思えてきた。

撮影:林口哲也

演劇全体を通じて、およそ100年前、懸命に試行錯誤して果敢に挑戦、表現し続けた芸術家たちが居たことを知らしめられた気がする。

やなぎみわの演劇プロジェクトは2部、3部へと続く。

眩しいほど真っすぐ生きる芸術家たちが居る舞台を、また案内嬢たちと一緒に観てみたい。

2011年7月29日 京都国立近代美術館にて


やなぎみわ演劇プロジェクト
第1部『1924 Tokyo-Berlin』 2011年7月29日〜7月31日(日)/京都国立近代美術館 (終了)
第2部『1924 海戦』 2011年11月3日(木・祝)〜6日(日)/神奈川芸術劇場
第3部『1924 人間機械』 2012年5月(仮) 場所未定

やなぎみわ

神戸生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。93年に京都で初個展。以後、96年より海外の展覧会にも参加。若い女性が自らの半世紀後の姿を演じる写真作品、「マイグランドマザーズ」シリーズ、実際の年配の女性が祖母の想い出を語るビデオ作品「グランドドーターズ」を制作。

http://www.yanagimiwa.net/index.html